人と価値観が合わない…歴史&実例で分かる価値観の違いとは?

【心理】人間関係

価値観の違い

生きてれば価値観が合わない人に絶対に出会います。

その様な人は自分にストレスを与え、

基本的に自分にとっていい事を与えませんね…。

その様な人と出会った場合、本来ならただ離れれば良いのですが、

「付き合い」と言うのもある以上、そういうワケにはいきませんよね?

今回は価値観の違いにどうケリをつけるのか、紹介していきたいと思います。

 

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価値観が違うとは

そもそも価値観とはなんでしょう?

トイレの後に手を洗うのが普通のように思われていますが、

洗わなくても平気な人も意外といるように思います。

自分のデスクが散らかっていても平気な人もいれば、

片付いていないと気が散って仕事ができない人もいます。

休みの日は、一日中ボーッとしていたい人もいれば、

ボーッとしているのは時間がもったいないからといって

動いていないと気が済まない人もいます。

 

トイレの手洗いの件は、衛生上というか

病気になるかもしれないのでちゃんと洗った方がいいと思いますが、

後の二つはどうでしょう。

デスクが散らかっていても

(その人に言わせるとたぶん散らかっているからこそ)、

いい仕事をする人もいますし、

片付いていても仕事がイマイチの人もいます。

もちろんその逆もあります。

 

また、ある女性(男性)がいつも仕事で忙しいのだから

休みの日ぐらいごろごろして

次の一週間のために英気を養っているとします。

ところが、共働きの夫(妻)が掃除やらなんやらでごそごそ動き回っていることで、

何か落ち着かない気分になります。

ごろごろしていることで罪悪感も湧いてきて、

心が安まるどころかストレスが溜まるかもしれません。

逆に、動いている方の人は日頃気になっていたことを

休みの日にしかできないのだからと、

一生懸命やっているのに相方はごろごろしていて、

こちらの方もストレスが溜まります。

 

このように価値観が違う人と一緒に仕事をしたり生活を共にすることで、

ストレスが溜まるというのはよくあることです。

 

価値観ってどうやってできるの?

国や文化、宗教が違うと、もっと大きな価値観の違いが生まれます。

例えば、イスラム教では豚肉は食べてはいけないことになっています。

イスラム教の教義の中で、豚が不浄の生き物だと言われているからです。

 

それじゃあ、豚肉をばくばく食べている我が国や、

お隣の中国、欧米諸国などは不浄で呪われた国かというとそうではありません。

では、なんでそもそもイスラム教では豚が不浄と決められてしまったのでしょうか。

神話の中で豚が何か悪いことをしたからでしょうか。

それともただ単に、豚肉が大嫌いな宗教上の指導者が

その決まりをつくったのでしょうか。

 

豚肉を食べるか食べないかは「価値観の違い」といえばそうなんですが、

なんかしっくりきません。

そこで、どうしてアラブの人たちにとって、豚が不浄なのか考えてみました。

アラブの国は暑いところが多いです。

砂漠のある暑い国で、雑食性の豚は、

伝染病や寄生虫を運んで来ることが多かったと言われています。

医療技術が発達していない時代、伝染病は死に直結します。

それも一人二人ではなく、家族や部落全体を襲うような恐ろしい病気です。

アラブの国々でで豚を食べないというのは、

まだ医療技術の発達してなかった時代に

人々の命を守る知恵だったとも言えるのです。

美味しいからと言ってみんながたくさん食べ始めて、

伝染病が流行ったという歴史があったのでしょう。

 

日本でも「ふぐの肝臓は食べない」とか、

「火炎茸を食べると死ぬぞ」というのは、

長い歴史の中で、先祖が文字通り、

身をもって残してくれた教訓です。

アラブの豚もそれと通じるところがあります。

また、日本では、明治以前は牛や豚などの哺乳類を食べることは宗教上、

罪と見なされていました。

 

しかし、もし日本が魚介類が豊富に捕れる国でなかったなら、

タンパク源を家畜に頼るしかなかったかもしれません。

牛や馬は大切な乗り物として使われたり、

農耕の道具としても使われていました。

牛や馬は稲作の国日本にとって大切な仕事道具だったのです。

外国から見たら、畜肉を食べてはいけないなどという決まりは

奇異に映っていたのではないでしょうか。

 

今では私たちも、ビーフやポークが大好きです。

高級な和牛はたまにしか食べられず、

アメリカ牛やオージービーフをよく食べます。

でも、それを見て、「今の日本は罪深い」とか

「畜生道に落ちてしまった」という人は誰もいません。

むしろ最近では、長生きのためには肉を食べましょうと言われているぐらいです。

一見、奇異に見える他国の風習や過去の習慣も

歴史上きちんとした意味のあることだということです。

 

価値観とはその人の生きやすさ

先ほどのデスクの話に戻ります。

実は私自身が、机の上が汚い方が仕事のできる人間です。

有能かどうかはわかりません。

最近思うのですが、頭の中と机の上はよく似ています。

私は何かアイデアを絞りだそうとするとき、

頭の中で線香花火のように

いろいろなイメージや言葉があっちこっちでチカチカ現れます。

関係あることもあれば関係ないこともあります。

 

でも、大きく言えば何か一つの枠組みで捉えられるもののような気がします。

そのうちそのバラバラだった火花がなんとなく一つの考えにまとまっていく、

という感じがします。

それが何か新しいことに取り組む時の私のやり方だと、

最近になって気付きました。

私の机の上には、やりかけのいろいろな物が点在しています。

人から見たらめちゃくちゃのようですが、

その混沌と見える中のどの辺りにほしい資料があるかわかっていて、

すっと出せる。

それを見たきれい好きの人は手品を見たかのように驚いてくれました。

 

デスクがきれいか汚いかと聞かれれば、わたしだってきれいな方がいいと答えます。

実際そう思います。

でも、どちらの方が仕事がしやすいかというと、

答えは反対になってしまいます。

人の目を気にして片付けをしてしまったために、

ほしい資料を二時間もかけて探さなくてはならないこともありました。

片付けてなければ、すぐに出せたのに。

 

私が言いたいのは、価値観というのは

その人が生きてきた歴史の中で身につけてきた、

その人なりの生きやすさだということです。

デスクの上が乱雑な人の頭の中と、

デスクの上がきれいな人の頭の中が違うように。

日本の禁忌とアラブの禁忌が違うように。

ある人の言ったりやったりしていることが、

よくわからないなあと思って見ていると、

自分にはない素敵な面が見えてくることもあります。

 

価値観はもともと違うもの

私たちは、今のその人を見て、

価値観が合うとか合わないだとか思います。

発想の仕方、意見の言い方、

気遣いができる人かあまり人のことを気にしない人か。

自分とはずいぶん違う人を見ると苦手だなあ、

と思ってしまうこともあります。

特に、強引に考えを押しつけてくる人や、

愚痴をしょっちゅう言う人、中身より見てくれを気にする人。

そういう人を相手にするときは疲れるし、嫌な気分になります。

そういう人たちも、生きてきた中で身につけた価値観を持っているのですが、

なにかのトラウマのせいで、

間違った方法が身についてしまっていることもあるのです。

 

でも、その人をよく観察して、

なんでこんな行動をとるのか考えているうちに面白くなることもあります。

そして、こういうふうに言えばわかってくれるということが見えてくると、

相手が可愛く思えてきたりします。

この人は何かを怖れてるだけなんだ、

その不安や恐れが、こういうふうに人を威嚇したり

依存するような態度になっているとわかれば、

相手と自分の一致点も見つけやすくなります。

 

生きてきた歴史が違うのだから、価値観が多少違うのが当たり前。

多くの価値観を擦り合わせることで、人類は進歩してきたのではないか。

それを、相手の気持ちを推し量って動いたり、

忖度したりするとややこしくなります。

 

推し量る、忖度というのは、日本人特有の行動かもしれません。

多くの国は歴史上、他国に支配されたり

多民族・多宗教の中で暮らさなければならず、

価値観が違いすぎる中では、推し量ることも忖度も不可能だったからです。

 

日本でも、これだけ価値観が多岐にわたってきた現代では、

他人の気持ちを推し量ったり、忖度することに限界があります。

価値観の違う相手のことを忖度することはもうやめてみましょう。

相手を知ろうと思い、観察し、コミュニケーションをとろうとすることで、

相手の価値観が育った歴史、つまり背景がわかります。

その人の背景がわかれば、意外に相手を理解でき、

もしかしたら好きになれるかもしれません。

 

価値観が違っても大丈夫

自分が周囲と価値観が違うと悩んでいる人も深刻になるのはやめましょう。

価値観はもともと違うのです。

世の中には人に合わせるのに労力を割いている人と、

そもそも人に合わせるのが苦手な人がいるように思います。

人に合わせるのが得意だと、

何か得するような気がしますが、どうでしょう?

その人は本当に自分のやりたいことがやれていないかもしれません。

自分のしたいことを自分でもわからなくなっているかもしれません。

 

身につけないといけないのは、

人に価値観を合わせたり忖度することではなく、

自分の考えや気持ちを上手に人に伝える力です。

 

例えば豚肉の例をあげてみます。

「豚肉は不浄だ」と言われると、

豚肉好きな人は自分の悪口を言われているようで、

嫌な気持ちがすると思います。

でも「不浄だ」と言うようになってしまった相手側の歴史を知り、

そしてこちらからは今の豚は管理されていて

伝染病については大丈夫だということを相手に伝えれば、

わかりあえるのではないでしょうか。

 

まとめ

差別や偏見は無知から生まれると言うではないですか。

価値観とは、その人が生きてきた歴史なのですから、

違う価値観とのいい出会いがあったら変わる可能性もあります。

自分の価値観を大切にしながら、相手の価値観も尊重する。

誰もがそういう生き方をする社会になれば、

価値観の違いに悩まなくていいし、

個性の違うたくさんの人との出会いにわくわくしながら生活できます。

そのためには自己表現する力と相手を理解しようとする姿勢を、

一人一人が身につけること。それが大切だと思うのです。

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